摩周苑はこんなところです

摩周苑ができるまで

個人用の別荘

2001年当初、個人用の温泉付き別荘を建てる予定でした。私が51歳の時に設立した会社は箱根、九州に2つの源泉をもち箱根湯本の源泉は温泉水そのものを宅配販売し、九州ではアトピー性皮膚炎患者専用温泉湯治施設として運営していました。そのなかで温泉の素晴らしさに魅入られた私はその会社の設立から10年後に若い後継者に会社の経営を譲り、更なる温泉湯治を研究するため、最高の泉質の源泉を日本全国探しました。
そこで巡り会ったのが摩周苑の良質の源泉、雄大な敷地です。大自然のなかに違和感なく溶け込むログハウスと温泉湯治に適した最高の泉質の温泉が理想でしたので阿寒摩周国立公園に隣接する原生林や自然の渓流、尽きることなく湧出する良質の温泉(透明微褐色ナトリウム塩化物泉、北海道遺産に指定されているモール温泉)、さらに2万坪の大自然に包まれた生命力あふれる原生林、道内でも有数の良質の源泉は私の心を強く揺さぶりました。
この土地は明治時代には皇室御用達のご材料の指定地としてあらゆる樹木が繫茂する土地であり、北海道の詩人、歌人として有名な更科源蔵氏の元所有地であった。
温泉湯治場として研究を続けるのに最高の環境。夏の暑さは爽やかで、ここに建てることを決心するのに時間はかかりませんでした。

樹齢100年以上の極太丸太

サハリンよりログ専門の大工を

サハリンよりログハウス専門の大工を4人雇い、現地の工法そのまま再現しました。コーディネーターを通して指示するも相手はロシア人、日本の建築とは違います。ログハウスを組み上げるのに、四カ月間サハリンの大工と身振り手振りで指示を出し悪戦苦闘しました。
毎日現場にでての監督です。すべて自分の目で確認しないと気のすまない性格。時に工事中の建物内で不穏な音がするのを調べると、もともとこの敷地は鹿かの遊び場でありログのなかに小鹿が迷い込んでいるのも珍しくありませんでした。

完成が近づくにつれ

完成が近づくにつれ徐々に摩周苑は姿を現し、日々その大きさに改めて驚きを感じました。温泉湯治を研究するにも一人用の別荘には大きすぎる、それならばいっそ宿泊施設にし温泉湯治を必要とする人々にこの最高の環境を提供しようと思い、道東最大のログハウス摩周苑は生まれました。
その日から、みなさまに少しでも癒やしを感じていただけるよう、終わらぬ自然環境整備の日々が続き現在に至っています。特に秋の紅葉時期のカラフルに染まる苑内は摩周の名所となっています。