小川秀夫の温泉湯治物語

摩周苑が目を覚ますころ、私もまた書き出した

摩周苑の森――あいつらはね、幹も枝もまるで死んだふりしてやがる。

だが、俺にはわかる。

目を凝らせばあちこちに、新緑の芽がちらほら顔を出している。まるで「そろそろ起きるぞ」って、森全体が深呼吸を始めたようだ。

さて、春が来るなら、こっちも迎え撃つ準備をせねばなるまい。去年の落ち葉、落ち枝、まとめて一掃してやるか――と、トラクターを引っ張り出して森と一戦交える。

ひと汗かいたあと、腰を下ろしてポケットからタバコを一本。健康を商売にしてる男が煙草?――タブーだってのは百も承知さ。でもな、森の中で働いた後に吸う一服のうまさは、格別なんだよ。これだけは、理屈じゃない。魂のご褒美ってやつだ。

ふぅーっと煙を吐いた、その瞬間。携帯が鳴る。

「先生、お久しぶりです!」

去年、摩周苑に一年湯治で宿泊してたあの子だ。まさか体調が悪化したのかと身構えたら――

「体はすこぶる調子いいです。でも、パパがね。もう一年行っていいって」

……そうか。泣ける話じゃないか。

「それなら、うちの仕事手伝いながら湯治していけよ」

彼女は器用でよく動く、正直、いてくれたら本当に助かる。

こうしてな、かつてここに泊まり、温泉で体と心を癒した子たちから、時折こうして電話が来たり、手紙が届いたりする。それがな、嬉しくてな――泣けるんだ。ほんとに。

生きる力を取り戻してくれた。
病を乗り越えた。
笑ってくれてる。
そんな報せが、何より私の力になる。

……ふと見上げた森。新緑が風に揺れてる。

ああ、春か。

黙っていても、命の息吹が押し寄せてくるこの季節――

よし、決めた。また本を書く。

今度の本は、熱くいくぞ。読んだ奴の背中をビシッと叩くような。湯治のことだけじゃねえ。人間が“生きる”ってどういうことか、それを全力で綴ってみせる。

森が目を覚ますなら、俺もパソコンとにらめっこだ。

命のリズムに合わせてな。