かんき出版から世に放った一冊――
『アトピー性皮膚炎の治し方がわかる本』
この本が書店に並ぶや否や、全国の悩めるアトピー患者たちが我先にと手に取った。
驚異的な数の症例写真。そこに写るのは、赤黒く爛れた肌が、まるで生まれ変わったように回復していく“証拠”の数々。出版は瞬く間にベストセラー。
医療界がどよめいた。
「これは……何だ?」
「薬を使わず、ここまで治るのか?」
私が一貫して唱え続けてきた“自然治癒力”という概念が、ようやくアトピー性皮膚炎治療の世界で本物として認知され始めた瞬間だった。
そしてその波は海を越えた。あのオックスフォード大学から、共同研究の申し出が届いたのだ。
彼らは日本オムバスが保有する膨大な臨床データに目をつけ、アトピー性皮膚炎の重症度を数値化する新しい「指数」の共同開発を持ちかけてきた。
出版記念講演には、自然治癒の世界的権威アンドルー・ワイル博士、日本の統合医療の開拓者帯津良一博士までが登壇。まさに、“本物”たちが認めた結果だった。
――すべてが順風満帆だった。
だが、その成功の絶頂に、私は見えない落とし穴に足を取られようとしていた。
きっかけは東京進出だった。
「鎌田にいい物件がある」
そう社員に伝えると、翌日、娘と川田が言ってきた。
「蒲田の物件はキャンセルしました。日本橋で契約を完了しました」
ふん、なるほど。あの二人が言うなら任せよう――そう思った私が甘かった。
開店前夜、私は様子を見に支店を訪れた。
そこに広がっていたのは、東京・日本橋の一等地、ガラス張りの豪華ビルの一階ワンフロアをまるごと借り切った日本オムバス東京支店。
「こいつら……度胸だけは一人前だな」と半ば呆れ、半ば感心してビルを見上げたその時だった。
看板に目が止まった――
3階と5階に、有名製薬会社の名前が掲げられていたのだ。
その数週間後、嵐はやって来た。
テレビ、新聞、週刊誌――
メディア総出の“アトピービジネス・バッシング”が始まった。
「高額な料金で患者を囲い込み、無理にステロイドを断薬させて悪化させる」
「温泉で治るなら、医者はいらないのか」
「日本オムバスは“患者の不安”を金に変えている」
何を言っている――!
離脱症状は最初から納得するまで説明していた。一時的に悪化するのは、薬からの脱却に伴う好転反応。何より、改善しているのだ。それを患者自身が証明してくれている。
費用がかかる?
温泉水を毎日箱根から運び、専門のカウンセラーが家族のように寄り添う。そのすべてを“暴利”と断じるのか?
そこにあったのはただのアトピー性皮膚炎ではない”ステロイド皮膚症”だ――!
症状の改善した患者は治療した医師のもとに次々と診察にいかせた。一件や二件じゃない!世界が驚く数だ!
だが皮膚科の医者はそれを認めなかった。
たしかに悪い業者も存在した。ステロイド入りクリームを販売するもの、実績のない手法で高額な費用を請求するもの。だが、それをひとまとめにして小川秀夫、日本オムバスを”アトピー・ビジネス”とレッテルを貼るのか。
だが世間は、理屈より「見出し」を信じた。
その中にいた――皮膚科学会の新鋭、金沢大学の竹原教授。
マスコミを揺動し、テレビに出て、日本中の視線をこちらに向けさせた。本社ビルをテレビに大写し、まるで悪の総本山のように放映していた。
しかし私にマイクを向けられることはなかった。
いつでもこい。その先生と公開議論させろ、私はその時を待ち続けた。
だが、それまでステロイドが悪だと言っていた世間が、今度はステロイドを使わない者を叩き始めたのだ。