小川秀夫の温泉湯治物語

1992年。私たちは新たな一歩を踏み出した――

重度に悪化したアトピー性皮膚炎の患者にすべての薬、ステロイドを断ち温泉湯治をしてもらった。教えをこうた元日本温泉気候理学会会長の医学博士・野口順一先生のいうと通りの現象が現れのち完治に向かった。

記録をとり、完治した患者は積極的に通院していた病院に診察させた。なぜか、そこにあったのはアトピー性皮膚炎ではなく医師の間違った処方による「ステロイド皮膚症」であったからである。

まともな医学を行う医者はすでに警報をしていた。その当時の皮膚科はその警報を無視し続けたのである。

その記録をもとに無料月刊アトピー性皮膚炎情報誌「湯治の声」の創刊である。読者はすべて、自宅温泉湯治に取り組む“アトピー友の会”の会員たち。そう温泉水を届けている顧客である。

この情報誌の使命はただ一つ。「治るという事実」を、毎月届けること。

――そう、医者が口を揃えて「治らない」「一生付き合うしかない」と言い放つこの病に、確かに完治はあるのだと。そしてそれは、薬ではなく、自らの身体に宿る“自然治癒力”のなせる業だと。

湯治に励む者たちにとって、「湯治の声」はまさに心の灯台だった。そこには毎月、克服者の声が載っていた。苦しみ、泣き、乗り越え、そして笑った者たちの生の声が。この声こそが、新たな湯治者たちを支え、励まし、希望へと引き上げた。

だが、その裏側で――世間は冷酷だった。

「アトピーは治らない」「奇病だ」「上手に付き合え」

そんな“常識”という名の呪いが、患者やその家族の心を日々むしばむ。一度でもその声に飲まれれば、たちまち湯治への意志は萎え、自然治癒力はその力を発揮できない。だからこそ、我々は毎月、克服者の声を届け続けたのだ。「信じきれば治る」と。

さらに、友の会では定期的に集会を開き、全国から会員が集まった。互いの近況を語り、涙を分かち合い、喜びを噛みしめた。そんなある日、ひとりの会員がこう言った。

「温泉に入りながら歌を歌うと、とっても気分が良いんです」

私はピンときた。これだ、音楽の力は、心を開き、魂を鼓舞する。しかも幸いなことに、会員の中には有名音楽家までいた。彼にお願いして、湯治の応援ソングを作ってもらった。以後、集会ではその歌を全員で合唱するのが恒例となった。

月日が流れ、皆の歌は見違えるほど上達していった。

「君たち、随分上手になったね」

そう声をかけると、笑顔が返ってきた。

「温泉入りながら毎日歌ってますから!」
「私も!」「私も!」

笑顔、笑顔、笑顔。
治癒のプロセスとは、こうして“魂”まで回復していくのだ。

だが――そこに、一筋の冷ややかな視線があった。
集会が終わった後、息子が私を呼び止めた。
彼は険しい顔で、言い放った。

「父さん、やってることがまるで宗教団体みたいだ。オウム真理教と何が違うんだ。歌を歌わせて、みんなを洗脳してるようにしか見えない。正直、気持ち悪い。もうこんなマネやめてくれ」

私は静かに、「わかった」と答えた。それ以降、友の会の集会で皆で合唱することはなかった。

たしかに、息子の言葉は“世間一般”の感覚としては正しいのかもしれない。だが、それこそが――我々が戦っている“思考の檻”だ。現代医学という科学の名を借りた洗脳。それに囚われたままでは、本来誰もが持つ“治る力”は目を覚まさない。湯治と歌と仲間の言葉、そして笑い――それぞれ絡み合い、科学では測れぬ力を刺激し引き出すのだ。

息子には、まだそれが見えていない。
若い、仕方がない。いずれ彼も分かるだろう。
痛みを知り、苦しみの声を聞いたときに、初めて“本当の治療の方法”が見えるのだから。

それまでは、私が信じ抜いてやる。

自然治癒力という“人間に残された最後の希望”を。