小川秀夫の温泉湯治物語

癌患者は情報の洪水にのまれるな!

アトピー性皮膚炎の離脱症状は、まさに地獄の業火。だが、癌患者の場合は違う。あれほどの激しい嵐は吹き荒れない。湯治にしっかり取り組めば、日を追うごとに体が軽くなり、顔色が戻り、何より――笑顔が蘇る。

ある人は、朝になると玄関に立ち、晴れた空を見上げて深呼吸する。「ああ、生きてるな」と実感しながら、ゆっくり一歩を踏み出す。

体力が戻ってくると、台所で食事の準備を手伝ってくれるようになる。特に、人生の酸いも甘いも噛み分けた年長の方々は、手際がいいんだこれが。

秋田川で竿を垂れる人もいれば、外へ遊びに出かけていく人もいる。家族や友人を招いて、ロビーで宴を開く人もいる。湯治の宿が、ちょっとした温泉リゾートになる瞬間だ。

だが、雑談の中でよく出てくるのは、あの話題。
「yahoo!ニュースで見たよ、◯◯さんが癌で亡くなったって…」
「テレビでもやってたな。あの有名人が…」

そう。彼らは湯に浸かりながらも、部屋ではスマホやPCの情報にさらされている。ネットの海に自ら飛び込み、波に揉まれているんだ。

そんなある日、ロビーのテーブルにぽつんと座り、書類に向き合う姿があった。真剣な顔でペンを走らせていたのは、今まで笑っていたあの人だ。何を書いてるのかと尋ねると――

「先生、今は元気ですけど、いつ何があるかわかりませんから。遺書、書いておこうと思いまして」

……情報の洪水は、今この瞬間の「元気ですら」飲み込む。あまりに現実的な一言に、私は返す言葉を失った。

彼は、湯治中でも部屋で仕事をこなすほどのやり手だった。黙々とパソコンに向かい、メールを捌き、電話をしていた。ステージ4、余命4か月――そんな宣告を受けて足を引きずりながらやってきた男が、だ。

そして半年後。驚いたね。
肌は血色よく、背筋はまっすぐ。見た目だけなら、まるで健康そのもの。

「仕事に戻ります。来週、帰ります」

――おいおい、ちょっと早くないか? そう思ったが、止められなかった。彼には、もう次のステージが見えていたのだ。

でもな、そのあとは、速かった。

癌を抱えていても、元気な状態に戻ること自体は、実はそこまで難しくない。真の試練は――そのあとにやってくる。「死の恐怖」ってやつは、毎日情報の形をして目の前に現れる。テレビのニュース、ネットの記事、人の噂話。

それらは、こちらが望まなくても、勝手に押し寄せてくる。しかも、時には自分からそれを検索してしまう。スマホ片手に、夜な夜な調べる。「癌 再発」「ステージ4 生存率」……。

本当は、そんなの遮断すればいい。断ち切って、心を守ればいい。

けれど、「社会に戻る」ってのは、つまりその情報の渦の中に自ら飛び込んでいくことなんだ。元気になった体と、まだ回復しきれていない心。そのギャップを乗り越えるには、半年、1年じゃ足りない。

――でもな、温泉で流れる湯と時間には、その“次のステージ”を生き抜く準備がある。焦らず、慌てず、湯気の向こうにある本当の自分と向き合へ。