小川秀夫の温泉湯治物語

温泉が、命を救った――その始まりの物語

少し話を戻そう。

バブルが狂喜乱舞する中、私の家は静かに崩れかけていた。妻は膠原病 SLE――全身性エリテマトーデスという難病を患っていた。

「治りませんよ、うまく付き合うしかありませんね」

そう言い放った医師の言葉に、私たちは希望すら持てなかった。毎日、飲まされるのはプレドニンという強力な免疫抑制剤。その副作用は凄まじく、顔はむくみ、情緒は不安定になり、骨密度は下がる。心も体も、ゆっくり蝕まれていく――そんな日々を過ごしてた。

そんな時だった。運命がドアを叩いたのは。

ある日、一本の電話。

「箱根の温泉付き土地、手を出してみませんか?」

崖地でインフラ整備に数億?上等だ。私は何の根拠もなく、ただこう信じていた。**「温泉なら、いずれ売れる」**と。

だが本当の“掘り出し物”は土地ではなかった。箱根の源泉そのものだった。

私はひらめいた。

「この温泉を家まで運び、妻に湯治をさせたらどうだろう?」

すぐに社員を使い、温泉水をポリ容器に詰め、毎日せっせと我が家へと運ばせた。

そして、温泉療法――それは、まさに命を賭けた賭けだった。

強引にすべての薬をたった。すると、すぐに“異変”が起きた。皮膚が赤く腫れ、全身に炎症が走り、倦怠感、脱力、発熱、吐き気…まさに薬の離脱症状=好転反応が妻を襲った。想像を絶する地獄だった。目をそむけたくなるときもあった。

けれど、妻は一言も弱音を吐かなかったよ。

後に知ったことだが、妻はすでに自分で文献を読み漁り、こうした症状が一時的なものであることを知っていたのだ。なんてことはない——読んでいたのは、私がこつこつ買い集めてきた東洋医学の文献。しかも、鉛筆でキリリと線を引き、これは!と唸った箇所を読んでくれていた…

「長く病気を患えば、患者は医者より自分の病気に詳しくなるのよ」

そう言った妻の言葉は、今でも私の胸に焼きついている。

3ヶ月後、症状は峠を越えた。
1年も経てば、目に見えて健康を取り戻していた。
3年後――主治医は信じられないという顔で言った。

「病気、なおってますね」と。

これが、のちの宅配温泉ビジネスを生み出す“原体験”となった。

バブルの遺産だと笑われた箱根の源泉は金にならなかったが、命を救った。その価値は地価の変動では測れない。

温泉の力、そして信じるという力が、家族の未来を変えたのだった――。