わずか二、三年のことだった。
だがその短さを疑いたくなるほど、その時間は濃密で、二十年、三十年分に匹敵する飛躍をもたらした。自宅湯治のノウハウは、もはや静かな進化ではなかった。積み上げた日々が火種となり、一気に火がついたように――爆発的な勢いで、知見は研ぎ澄まされていった。
一方、世の中は混乱していた。
ステロイドへの不信は止まることを知らず、新聞もテレビも医者も右往左往。
「使うべきか」「やめるべきか」――だが、苦しむのはいつも患者だった。
そんな迷いの中、患者たちの目は自然と一つの場所に向いていた。“日本オムバス” そう薬に頼らず、自らの力で治す――その希望の灯火を頼って、全国から人が押し寄せてきた。
そして、その成果は当然のように再現されていった。温泉湯治で本当にアトピー性皮膚炎を克服し、完治した若者たち。“もう治らない”“一生ステロイドと付き合うしかない”と医者に言われた者たちが、堂々とその呪縛から次々と解き放たれていった。
だが、温泉湯治にはひとつだけ大きな壁があった――時間だ。学生なら休学すればよかったが、社会人はそうはいかない。会社を辞めてまで湯治に賭ける者もいた。
私は彼らにこう声をかけた。
「仕事を失ったのなら、ウチで働けばいい。温泉で自分を取り戻した君たちだからこそ、次の誰かを救える。」
こうして彼らは、**“克服者カウンセラー”**として次々と育っていった。
彼らの言葉は違った。医者でもなく、学者でもない。だが、誰よりも“説得力”があった。なぜなら、彼らは机上の理論ではなく、自分の皮膚と人生で湯治の力を証明した者たちだったからだ。その言葉には、炎症に苦しむ人々の心を震わせる真実が宿っていた。
その姿は、かつて病に倒れかけていた彼らとは思えぬほど堂々としていた。そして、その“克服者たちの物語”は口コミとなり、新聞に載り、テレビに映り、やがて日本オムバスは全国で面談会を開催するまでに成長していった。
支店は東京へ、大阪へ。
かつて一軒の不動産屋だった私の会社が、今や全国の希望の拠点になったのだ。
これは奇跡でも偶然でもない。
温泉の力と、人の力が合わさったとき、
“不可能”が“現実”に変わる瞬間だった。