それから一年。
あの日の夫婦喧嘩から生まれた“宅配温泉ビジネス”は、驚くほどスムーズに軌道に乗った。いや、むしろ滑り出し好調どころの話ではなかった。
アトピー性皮膚炎――その頑固な皮膚トラブルに、我が社の温泉が効くと口コミが広がると、まさに“肌でわかる”改善が次々と現れた。
理屈じゃない。**論より証拠。**ツルツルの肌がすべてを物語っていた。チラシに「○○さんの体験談と経過の写真」を載せるだけで、次の朝には電話が鳴りっぱなし。紹介に紹介が重なり、温泉水の箱詰めは飛ぶように売れ、まるで空に放ったブーメランが金塊になって戻ってくるような快進撃だった。
やがて娘が結婚し、その婿、川田とその友人、山崎までもが事業に参戦。息子、川田、山崎――この三人が毎日、昼夜を問わず箱根に車を走らせ、温泉を汲み、20リットルの箱に温泉水を詰めて戻ってくる姿は、さながら“温泉三銃士”。
それにふさわしい社名をと、会社名も「日栄ホーム」から、堂々と**「日本オムバス」**へと改名。
理由?ダジャレだ。”温泉”””風呂=バス”…温泉とバス…..日本、温泉、バス
「日本オムバス」…日本中に温泉を、家庭の風呂に運ぶぞ、いや
我が温泉は全身全霊の癒しを運ぶぞ!燃えに燃えていたんだよ。
私は、集まってくるお客様の声を一つひとつ拾いながら、アトピー性皮膚炎に関する膨大な資料を読みあさり、書店に並ぶ医学書を舐めるように読み尽くした。そしてついに、自ら筆を執り、本を出版した。
1990年 『アトピー性皮膚炎は自宅湯治でこうして治す』
1991年 『アトピー性皮膚炎に克つ温泉湯治』
1992年 『アトピー性皮膚炎の治し方がわかる本』
1994年 『大増補・アトピー性皮膚炎の治し方がわかる本』
1997年 『医者が教えないアトピー性皮膚炎の治し方』
まるでシリーズ化された“湯治バイブル”は全国で売れに売れ、書店の健康コーナーは我が社の温泉本で埋め尽くされた。
追い風となったのは、当時の“ステロイド薬”に対する猛烈な社会的バッシングだった。
「ステロイドは危険だ」「副作用で人生が壊れる」「ステロイドでアトピーが悪化した」
新聞もテレビも、連日この話題で持ちきり。ある番組の司会者は、テレビの前でこう言い放った。
「ステロイドは大変な薬です。最後の最後まで使わないでください。」
医療の不信、薬の恐怖、そして癒しを求める人々。そこに、“箱根の温泉”を運ぶ我々のビジネスがドンピシャではまった。
まさに、飛ぶ鳥を落とす勢い。いや、飛ぶ鳥にまで温泉を浴びせかけそうな勢いだった。
温泉水は売れる。本は売れる。クレームは来ない。
家族経営の零細企業が、社会問題の風に乗って、大きく羽ばたいた瞬間だった。
“温泉のチカラ”が、世の中を動かしている。
そう思わずにはいられなかった――。