私が温泉水の宅配でアトピー性皮膚炎の“自宅湯治”を始めたのが1989年。摩周苑で本格的に温泉湯治場を運営したのが2001年。振り返れば、自然治癒力を世に訴え続けて実に36年。まさに執念と信念で走ってきた年月だ。
今でこそ「免疫力」や「自然治癒力」といった言葉が、テレビでも雑誌でも飛び交っているが、当時はどうだったか?
1990年代といえば、「東洋医学なんて古臭い」「自然治癒? そんなのオカルトでしょ」と鼻で笑われるのがオチ。真顔で語れば、キチガイ扱い。まともに取り合ってもらえないことの方が多い。それでも1992年「アトピー性皮膚炎の治し方がわかる本」を出版した後は理解してくれる人が増えた。興味を持ってくれる医者もいた。医療団体、自然治癒力学会みたいなものを発足させようと試みた。だが圧力がかかるんだ。上手くいかなかった。
まさに孤軍奮闘に近い状態だ。だが、それでも私は叫び続けた。「人間には、自分で治す力があるんだ」と。
時代は変わった。
いまや科学が“自然治癒力”を真面目に分析し、免疫や白血球にスポットライトを当て、新薬や治療法が次々と開発されている。あの時の嘲笑が、今や驚きと関心に変わったのだ。そこには、世界的な免疫学者・安保徹先生の功績が大きい。彼の登場は、まるで氷の世界に火を灯したような衝撃だった。
きっと近い将来、癌という病気も“恐れるもの”ではなく、“治るもの”になるだろう。明日かもしれない。3年後、10年後、いや、50年後かもしれない。でも、必ずその日は来る。そう信じている。多くの人が犠牲になっているのだから。
――だが、だ。
残念なことに、現場には今なお「治せない」ことを前提に話す医者もいる。薬を出し、効かなければ「その病気は治りません。うまく付き合っていきましょう」と言い放つ。患者が「温泉湯治はどうでしょう?」と聞けば、「科学的根拠がない」「意味がない」「不適切だ」と一蹴。
それがどれだけ、患者の“治りたい”という希望を踏みにじっているか、気づいているのだろうか?
余命告知もしかり。余命4か月と告げ、「治療すれば6か月生きられます」と言う。たった2か月。この治療をして5年生存率は20%です。いやいや投資会社の営業が5年で2割増えますじゃないんだから。たったそれだけで、生きる意味を見失わせるほどの一言を、彼らは「科学的根拠」という名のもとに口にする。
誤解してほしくない。すべての医者を責めているわけじゃない。善良な医者の苦しみも理解している。ただ、私の元に届く声があるということだ。現代医療の網の目からこぼれ落ちた人たちの、切実な叫びだ。「もう、ここには頼れない」「でも、まだ生きたい」と。
科学が自然治癒力に真剣に向き合い、心の力にまで踏み込んだとき――病というものは、もしかしたらこの世から消え去るかもしれない。ただもう少し時間が必要だろう。
昔の人は知っていた。
「病は気から」――これは単なることわざなんかじゃない。未来の医療の核心かもしれんのだ。