戦いの相手は変わった。だが、こちらの信念は、微動だにしなかった。
そんなある日だった。面倒を見ていた政治家――省庁の裏も表も知り尽くす男から、いつになく沈んだ声で連絡が入った。
「先生、大変です。今回の“アトピービジネス・バッシング”、どうやら厚生労働省の中枢まで火の粉が飛び始めたようです」
胸騒ぎが走った。やはり、ここまで来たか――
だが次の言葉は、意外な援護射撃だった。
「ただ、免疫学者・安保徹先生が公の場でこう言ってくれました。“間違っているのは皮膚科学会の方だ。離脱症状は回復のプロセス。日本オムバスの小川くんがやっている温泉湯治療法は、免疫学の観点から見ても極めて理にかなっている”と。先生、頼もしい味方がいますよ」
あの安保徹――免疫学の権威が、真っ向から擁護してくれたのだ。その瞬間、胸が熱くなった。ここまで信じてきた道は、間違いじゃなかった――!
だが――喜びも束の間、政治家は重たく言葉を継いだ。
「ただ……これを見ていただけますか」
手渡された一通の書類。
表紙には省の印。封を開けると、そこには真っ黒に塗りつぶされた“機密文書”が挟まっていた。わずかに読める数行だけが、禍々しく浮かび上がっていた。
――「当該団体の信頼性に瑕疵を見出し、段階的に弱体化、解体の方向に……」
背筋が凍った。
製薬会社、医療界、マスコミ、そして政治が結託している。
かつて「ステロイドは大変な薬です。最後の最後まで使わないでください。」と言った超人気TVキャスターは突然理由もなく降ろされテレビから姿を消した。
今度は私たちを潰しに来ている。日本オムバス、そして小川秀夫を。
そしてその手口はおそらく、税務、医療行政、許認可、どこからでも牙を剥ける国家機関の“本気”だ。
だが、ここで引くわけにはいかない。相手がどれだけ巨大であろうと、私たちには“治った人間”という何より強い証人がいる。どれだけ黒塗りにしようと、温泉で再生した肌と心までは隠せやしない。
戦いは、ここからが本番だった――。
しかし、運命はいつだって皮肉な形で牙を剥く。
その翌朝だった。
息子の口から信じがたい言葉が投げつけられた。
「――あなたがいる場所は、もうここにはありません」
昨日の一件が、娘、川田、そして息子に伝わったのだろう。3人で何を話し合ったのか、言葉にせずとも分かった。会社の未来を“家族会議”で決めたらしい。だがその会議には、創業者の私の席はなかった。
私は静かに言った。
「君たちでやっていけるのなら……やってみなさい」
そう言いながらも、心の奥底から何かが崩れ落ちる音がした。寂しさ、悔しさ、怒り、虚しさ――全てが胸の中で渦巻いていた。だが、涙は見せなかった。
その夜、私は黙々と原稿に向かった。あのベストセラー「アトピー性皮膚炎の治し方がわかる本」の続編を、一夜で書き上げた。
そして一通の手紙を原稿に差し込んだ。
「私は日本オムバスを去る。これをもって、すべての責任を私が負う」
それは、私がこの事業と命懸けで向き合ってきた証であり、会社に残る家族への“免罪符”でもあった。
その後、日本オムバスは私の手を離れ、アトピー性皮膚炎のスキンケア用品を主軸とする企業として今も生き残っている。だが、そこにあの熱気や覚悟、命をかけた湯治の魂は、もうなかった。
私はすべてを置いて、神奈川を発った。
向かった先は北の果て、北海道――。
羽田空港、出発ロビー。
大理石の柱に額を押し付け、悔しさを噛み殺した。しかし、涙は止まらなかった。目撃していた大勢の人々が何事かとこちらを見ていたが、どうでもよかった。
私はすべてを失った。だが、まだ終わってはいない。この手がまだ動く限り、この胸が熱を帯びている限り、私はもう一度、立ち上がる。そして、誰にも真似できない道をまた切り拓いてみせる。
――そう、次は、誰にも邪魔されない場所で。