しかし良く考えてみたら良い、実はすべての病気を治しているのは、薬でも医者でも病院でもない。他ならぬこの「自然治癒力」である。本書では自然治癒力という言葉を盛んに使っているが、実は医学大辞典、広辞苑、百科事典にさえも、この自然治癒力という言葉は出てこない、もちろん医大の教育でも自然治癒力を説くカリキュラムは存在しないのである。
つまり現代医療にとってはその言葉はタブーなのである。「自然治癒力」の大切さを口にし始め、薬物の過剰な処方を控える医師は、「東洋医学かぶれ」とみなされ、いずれ病院から間違いなく戦力外通告を受け、追放されてしまう。したがって医師はうかつにその言葉は喋れないのだ。
この自然治癒力、自己治癒力というものは全く目に見えないものである。その見えないもので病気を治すということは、何となく胡散臭いという考え方が現代医療にも、また一般にも広く存在している。とくに現代医療では薬物に依存しないで病気を治す手法は正当な治療法ではなく、あくまでも胡散臭い治療法と捉えている。
したがってどのような病気でもそのような治療法で治ったものは、科学的根拠がない、非科学的で、でたらめな治療法の症例として扱われている。つまり彼らは「自然治癒」を医大で教わっていないから分からないのである。したがって自然治癒力は目に見えないものだから信じないというのである。
実際にありとあらゆる病気を治しているものは、この自らを癒す内なる力「自然治癒力」である。しかし現代医療の世の中の常識は、病気は「医者」が「薬」を使って「病院」で治すということになってしまっている。
「病気は神(自然治癒力)が治し、医者はその代金をとる」という諺がある、ヒポクラテスは「人は誰でも100人の名医(自然治癒力)を持っている。医者はその手助けにすぎない」と諭している。
2500年前、古代ギリシャの医学の父と崇められている「医聖ヒポクラテス」は(古代ギリシャ紀元前460~357の医者)「人は生まれながら100人の名医(自然治癒力)持っている」、に始まりその数多くの箴言は、今日まで伝承され医聖として今も称えられている。
原始的な医学から呪術や迷信を切り離し、人に元々備わる「自然治癒力」を医療の基本として「患者に利すると思う治療を選択し、害と知る治療を決して選択しない」、「まずは害することなかれ」と説いた。欧米の大学医学部の卒業式で、学生達は現在でもヒポクラテスが自ら誓ったこのくだりで始まる「ヒポクラテスの誓いに」誓いを立て唱和するという。
この「自然治癒力、自己治癒力」と呼ばれるものは、人間、動物、植物等、さまざまな生き物が生まれながらにして備えているもので、これらは「自己再生機能」、「自己防衛機能」という「二つの機能」を合わせ持っている。
病気にしても怪我にしても病んだ体を自然に「再生し治す機能」と、さまざまな病原菌、ウイルスから「体を守る機能」であり、これが「免疫」である。病気を治すということは、いかにこの自然治癒力を引き出し、それらに頼るかであり医師や薬、病院に頼ることではない。